こんにちは 日本共産党市議会議員 小林ひさ子です

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前橋空襲追悼集会・群馬県原爆犠牲者慰霊式・戦争を考える

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72年前の昭和20年8月5日、終戦のわずか10日。
前前橋空襲で前橋市域の8割が焼け、死者535人、負傷者600人以上が犠牲となりました。
悲惨な戦争の惨禍を二度と繰り返さないため、平和を守る共同を!今年も慰霊祭に出て、商店街を平和行進しました。





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前橋市中心街の弁天通の一角にある呑竜商店会。
レトロな飲み屋さんが軒を連ねています。


核兵器禁止の誓いあらたに

群馬県原爆犠牲者慰霊式が、13日嶺公園内にある慰霊碑前で開かれ、被爆者など約80人が参列しました。
 今まで県被爆者の会を中心に行われてきた慰霊式が、会長の須藤叔彦さん(昨年末に逝去)が体調を壊したため2012年から休止していましたが、15年に平和団体の有志が実行委員会を作り、引き継いできました。
 須藤会長が亡くなり、今年の開催は困難との声もあったが、原水爆禁止県協議会など約20団体が連携し開催されました。
 最初に約350人の原爆死没者が納められている碑に黙とう。
 堀越けいにんさんが「イマジン」など3曲をギターで献奏。
 角田義一実行委員会会長に代わり小林敏男氏が開会挨拶を行い、続いて、自治体・議員の紹介。
 代表して酒井宏明県議が「国連で7月に採択された核兵器禁止条約へ日本が参加せず、安倍首相が反対を表明していることは許せない。安倍政権を倒して、批准する政府を作るため力をあわせよう。」と挨拶しました。
 母親との買い物帰りに、広島の原爆で被爆した坂ノ下守さん(73)は「母が自分の体を楯にして助けてくれた」学校で「ピカの子」といじめられた苦しい体験を語りました。

核廃絶の運動をともに歩む
 
 被ばく3世の伊藤あゆみさんは「祖父は広島に駐屯していて原爆で亡くなった沢山の遺体をだびに付す作業に。生前にたった一度だけ広島の惨状を絞り出すように話してくれた」と語り「被爆者は自分たちが生きているうちに核兵器の廃絶をと願っている。人類の危機を救うためという被爆者たちの行動に支えられ、この運動をつなげていくために歩んでいきたい」と。
 6日に広島の平和記念式典に参加した中学2年の飯ケ浜帆夏さんは「2度目の参加でしたが、もっと原爆のことを学び、回りにしっかり伝えていかなければならないと思いました」
 県内に住む被爆者の数は現在126人で、平均年齢は81・5歳です。

核兵器の終わりの始まり
 
 参列した小林久子市議は「広島・長崎の平和記念式典で、被爆者の願いに背を向けた安倍首相は、本当にどこの国の首相かと怒りが込み上げてきます。参列した人からも『安倍さんは被爆者の苦しみが本当に分らないんかねえ』と。
 新たな運動の始まりです。日本政府の核政策を変えさせるため、力をあわせましょう」と話しています。
 

地域から戦争を考える その4
 
前橋に平和資料館設立をめざす会の主催で、今年も4回目の『地域から戦争を考える』が三河町のれんが蔵で開かれ。展示や体験談、読み聞かせ、記念講演が行われました。
 前橋の7地区が行った出征兵士の戦死者の調査では、太平洋戦争中、戦死者の82%が最期の1年半に集中しています。遅すぎた戦争終結が悔やまれます。戦争を止めるのが大変ならば戦争を始めさせない。
今が大事な時です。


太平洋戦争の終戦から72年。テレビや新聞など戦争の事実や体験者の生の声を聞くにつけ、心が動揺し平静ではいられない。あまりにも悲惨で目を背けたくなるような映像ばかり。若き青年が死を覚悟の特攻隊。物資の補給もなく南方で多数の餓死者。終戦間近の地方都市の空襲。終戦後のサハリンの民間人の逃避行。731部隊。あまりにも理不尽なことばかり。こんなことを再び絶対に許してはいけない。平和を守るのは私たち一人ひとりです。
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by hisako-koba | 2017-08-10 19:02 | 平和 | Comments(0)

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