こんにちは 日本共産党市議会議員 小林ひさ子です

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カテゴリ:平和( 23 )

5月13日(日)日本共産党も参加する大胡地区の各種団体がつくった「大胡地区市民アクション」の署名行動に参加。
毎月9のつく日の署名行動を続けています。
母の日の13日は大胡のアイム前での行動の提起に、
11人が参加して午前10時過ぎから1時間ほどで126筆の署名をいただきました。

買いもの途中の忙しい中でも「安倍さんには早くやめてもらいたい」「戦争だけは絶対だめ」「子どもたちのためにも今の憲法を    変えてはいけない」などと、多くの人が足を止め署名をしてくれました。ありがとう。

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     元大胡町議の小池さんも参加。
     90歳を超えても元気で、いつも私たちと一緒に、活動を励ましてくれます。

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by hisako-koba | 2018-05-16 19:04 | 平和 | Comments(0)
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72年前の昭和20年8月5日、終戦のわずか10日。
前前橋空襲で前橋市域の8割が焼け、死者535人、負傷者600人以上が犠牲となりました。
悲惨な戦争の惨禍を二度と繰り返さないため、平和を守る共同を!今年も慰霊祭に出て、商店街を平和行進しました。





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前橋市中心街の弁天通の一角にある呑竜商店会。
レトロな飲み屋さんが軒を連ねています。


核兵器禁止の誓いあらたに

群馬県原爆犠牲者慰霊式が、13日嶺公園内にある慰霊碑前で開かれ、被爆者など約80人が参列しました。
 今まで県被爆者の会を中心に行われてきた慰霊式が、会長の須藤叔彦さん(昨年末に逝去)が体調を壊したため2012年から休止していましたが、15年に平和団体の有志が実行委員会を作り、引き継いできました。
 須藤会長が亡くなり、今年の開催は困難との声もあったが、原水爆禁止県協議会など約20団体が連携し開催されました。
 最初に約350人の原爆死没者が納められている碑に黙とう。
 堀越けいにんさんが「イマジン」など3曲をギターで献奏。
 角田義一実行委員会会長に代わり小林敏男氏が開会挨拶を行い、続いて、自治体・議員の紹介。
 代表して酒井宏明県議が「国連で7月に採択された核兵器禁止条約へ日本が参加せず、安倍首相が反対を表明していることは許せない。安倍政権を倒して、批准する政府を作るため力をあわせよう。」と挨拶しました。
 母親との買い物帰りに、広島の原爆で被爆した坂ノ下守さん(73)は「母が自分の体を楯にして助けてくれた」学校で「ピカの子」といじめられた苦しい体験を語りました。

核廃絶の運動をともに歩む
 
 被ばく3世の伊藤あゆみさんは「祖父は広島に駐屯していて原爆で亡くなった沢山の遺体をだびに付す作業に。生前にたった一度だけ広島の惨状を絞り出すように話してくれた」と語り「被爆者は自分たちが生きているうちに核兵器の廃絶をと願っている。人類の危機を救うためという被爆者たちの行動に支えられ、この運動をつなげていくために歩んでいきたい」と。
 6日に広島の平和記念式典に参加した中学2年の飯ケ浜帆夏さんは「2度目の参加でしたが、もっと原爆のことを学び、回りにしっかり伝えていかなければならないと思いました」
 県内に住む被爆者の数は現在126人で、平均年齢は81・5歳です。

核兵器の終わりの始まり
 
 参列した小林久子市議は「広島・長崎の平和記念式典で、被爆者の願いに背を向けた安倍首相は、本当にどこの国の首相かと怒りが込み上げてきます。参列した人からも『安倍さんは被爆者の苦しみが本当に分らないんかねえ』と。
 新たな運動の始まりです。日本政府の核政策を変えさせるため、力をあわせましょう」と話しています。
 

地域から戦争を考える その4
 
前橋に平和資料館設立をめざす会の主催で、今年も4回目の『地域から戦争を考える』が三河町のれんが蔵で開かれ。展示や体験談、読み聞かせ、記念講演が行われました。
 前橋の7地区が行った出征兵士の戦死者の調査では、太平洋戦争中、戦死者の82%が最期の1年半に集中しています。遅すぎた戦争終結が悔やまれます。戦争を止めるのが大変ならば戦争を始めさせない。
今が大事な時です。


太平洋戦争の終戦から72年。テレビや新聞など戦争の事実や体験者の生の声を聞くにつけ、心が動揺し平静ではいられない。あまりにも悲惨で目を背けたくなるような映像ばかり。若き青年が死を覚悟の特攻隊。物資の補給もなく南方で多数の餓死者。終戦間近の地方都市の空襲。終戦後のサハリンの民間人の逃避行。731部隊。あまりにも理不尽なことばかり。こんなことを再び絶対に許してはいけない。平和を守るのは私たち一人ひとりです。
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by hisako-koba | 2017-08-10 19:02 | 平和 | Comments(0)
昨年の9月、多くの憲法学者に憲法違反と指摘され若者から高齢者までの多くの人たちが反対する中、戦争法が強行採決されました。
 2012年12月に創設された大胡9条の会の人たちは、春から手書きのポスターを掲げ、毎月スタンディングしています。

 
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by hisako-koba | 2016-11-11 17:03 | 平和 | Comments(0)
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 71年前の1945年8月5日夜の大空襲は、米軍機による大規模な爆撃により、市中心部の約8割が焼失し、死者715人、負傷者897人、罹災者約6万4千人に及び大惨事となりました。

当時、比刀根橋近くの防空壕で多くの人々が命を落としました。今年も慰霊碑前で追悼集会が開かれ、約30人の参加者は折り鶴で飾られた「慰霊碑」に献花し、商店街を行進しました。
 
 集会では、前橋空襲体験者の藤森光男さん(80)が、体験者から聞き取りして書いた詩集から1篇を朗読しました。

 藤森さんは「戦争体験者が少なくなっている今、後世に伝えるために、自らの体験を語り、世界に誇れる平和憲法を守る世論を広げていくことが重要だ」と語りました。

 この日は市内中心部の神社、お寺、協会でも前橋空襲一斉祈祷行事が行われました。
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by hisako-koba | 2016-08-09 16:04 | 平和 | Comments(0)
核兵器のない世界を求める国民平和行進は58年間毎年実施されてきました。
雨の日も風の日も夏の暑さの中も続く行動は世界にも類を見ません。
全国すべての都道府県と約1400の自治体を通り、約10万人が参加。

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 県内は36全自治体を通りのべ1500人が参加。県内メインコースは7月9日碓氷峠で引き継ぎ18日上武大橋で埼玉へ。6人が県内を通し行進(写真上)

17日は前橋市内の旧町村を回る網の目コースも取組まりました。(写真下)
宮城支所、粕川支所、富士見支所、嶺公園にある群馬県原爆慰霊碑の4コースをそれぞれ歩き、最後は前橋市役所で合流。
私は今年は粕川支所から心臓血管センターまで約9.7キロを午前中歩きました。

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帰りは上電で。車内は夏のお祭りのデコレーションが涼しげ。

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by hisako-koba | 2016-07-21 17:39 | 平和 | Comments(0)
 7月13日(日)に開かれた「かいがや9条の会8周年の集い」に参加しました。

 きりえ作家の飯塚照枝さんは、自分は何のために生かされているのか、戦争体験を証言できる最後の年代の使命として、きりえを通して語り継いでいこうと話す。7月19日~8月17日まで前橋文学館で「戦争を忘れない展」開催。 

 前橋国際大学講師の岩根承成氏は「終戦10日前の前橋空襲を考える」と題して講演。
昭和19年のマリアナ諸島陥落から本土空襲が本格化、軍需工場、大都市、中小都市への焼夷弾絨毯爆撃へとエスカレートしていった。 
 8月5日の前橋空襲は、中心市街地の80%を焼き尽くす。 7月26日、日本の無条件降伏を勧告したポツダム宣言を日本は黙殺。
 8月14日、受諾までに、前橋空襲、広島、長崎への原爆投下。と早く決断すれば救われた多くの命が失われた。国体護持が最優先で国民の犠牲が最後まで顧みられず。
 改めて戦争の愚かさを痛感。

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岩根氏が手にしているのは、前橋市役所発行の『戦災と復興』(935ページ)
1964年(昭和39年刊ー昭和34年編纂開始 編集委員長・石井繁丸市長)
 全国100を超える都市が空襲にあったが、1000ページにも及ぶ記録はほかにない。
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by hisako-koba | 2014-07-23 20:26 | 平和 | Comments(0)

前橋空襲追悼と平和行進

本日18時30分から慰霊式が開かれました。
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今年80歳になる青木満州郎さんのあいさつと証言を聞きました。
青木さんは当時中学1年生。軍事訓練や軍事工場への動員て゜、授業はほとんどなかった。
昭和20年には1年生しか学校にいなくて、空いた教室には近衛兵が駐留していた。部隊の陣地を作るため、利根川、六供河原へ砂利運搬と壕を掘る作業をさせられたり、食料増産のため通学路に大豆、校庭にサツマイモやかぼちゃを植えたりしていた。
5月末から農村動員が始まり、麦刈り、田植えや稲刈りなど、長男がいなくなった農村の農作業をおこなった。
青木さんのクラスは上川淵、下川淵に行き、早朝の草刈、桑摘み、麦刈りなど朝から晩まで働いた。

前橋空襲の前日、前期試験と言うことで家に帰った。翌日夜、前橋空襲があり、家の壕に家族と避難したが、おじさんにすく逃げろと言われ、前橋公園に逃げた。家族は無事だったが、けがをした人たちが次々と運ばれ、姉が搬送などに動員された。家も無事だったが、前橋市街地の8割が焼かれ、残った青木さんの家には近所ばかりか、多くの人が身をよせてきたので、全員横になれず、立ったり座ったりで一夜を過ごした。
後で空襲で多くの人が亡くなったと聞いた。同学年では2人がなくなった。その後は衛生状態が悪く赤痢、コレラなどでも多くの人が亡くなった。

参加者全員で慰霊碑に献花。

e0258484_20544558.jpgデモ行進は弁天通りから旧麻屋、諏訪橋を曲がり、比刀根橋まで歩きました。
比刀根橋には、当時の銃弾のあとが刻まれています。
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by hisako-koba | 2013-08-05 21:00 | 平和 | Comments(0)

8月5日前橋空襲から68年

3日は平和のための写真展を見てきました。
南京大虐殺、強制連行、従軍慰安婦、沖縄戦、前橋空襲、原爆、あまりにも多くの死と向き合い、こみ上げる気持ちを抑えることができませんでした。
改めて、戦争の愚かさ、むなしさに怒りが。
再び戦争への道を歩ませてはならない。決意を新たにしました。


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そして、今日は68年前の前橋空襲を追悼する行事が取り組まれました。
今晩6時30分から比刀根橋近くの慰霊碑で追悼集会、その後慰霊行進が取り組まれます。
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by hisako-koba | 2013-08-05 17:42 | 平和 | Comments(0)
1945年の敗戦から68年。犠牲者を追悼する行事が各所で行われます。
昭和20年8月5日夜のB29の爆撃により、死者715人、負傷者897人、罹災者は63,678人。前橋は当時の市街地の大半を焼失する被害を受けました。
そのあまりにも悲惨なさまを語り継ぎ、追悼行事がとり行われます。

8・5前橋空襲追悼平和行進実行委員会は、8月5日18時30分から広瀬川、比刀根橋近くの慰霊碑前で慰霊祭を行い、そのあと中心街を行進します。

この日はほかにも前橋大空襲を語り継ぐ会、前橋住吉町2丁目自治会が、犠牲者を追悼する会を開催します。

群馬県平和委員会・原水爆禁止群馬県協議会は8月2・3・4日、前橋プラザ元気21にぎわいホールで「平和のための戦争写真展」を開きます。3日は14時から「原爆の子」の映画を上映します。

市役所ロビーでは前橋空襲とミニミニ原爆展を開いてい」ます。
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by hisako-koba | 2013-08-02 19:13 | 平和 | Comments(0)
原水爆禁止国民平和大行進の本行進はすでに行われましたが、前橋市内で網の目行進が、明日28日行われます。
宮城支所と粕川支所をそれぞれ9時30分出発、大胡年金者組合=大胡支所=心臓血管センター=シャトレーゼ=協立診療所=前橋市役所へ

他に、富士見支所(10時15分出発)と嶺公園の群馬県原爆慰霊碑(9時45分出発)のコースも取り組まれ、15時に3コースが協立診療所で合流し、前橋市役所まで一緒に歩きます。

ぜひ一歩でも二歩でも一緒に歩きましょう
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今年の前橋市役所出発の本行進
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by hisako-koba | 2013-07-27 16:50 | 平和 | Comments(0)

前橋市議会議員 小林ひさ子のブログです


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